2016年4月12日火曜日

宗教や種族というフィルター

彼らは宗教や種族というフィルターを通して、「○○教徒は機れている」とか「XX族は野蛮で乱暴だ」というふうに単純化して他人や世の中を見るようになる。その一方で、自分たちと同じ宗教や種族の人々に対しては、「平和を愛好する我ら○○教徒が凶悪事件を起こすはずがない」とか「我ら××族が人のものを盗むはずがない」と強力に弁護し、事実であっても「そうした話は○○教(××族)を脆める陰謀だ」と信じようとしない。住民が「自分たちは何者か」を単純化して考えるようになったとき、宗教や種族といったものは、さまざまな政治勢力が大衆操作をする際の道具として使われやすくなる。その気になれば、政治勢力は暴動を引き起こすことも、あるいは宗教紛争や種族抗争を引き起こすことも容易である。

かつて旧植民地宗主国オランダがとった分断統治は、地方の勢力を互いに反目させることで、彼らが一致団結してオランダに刃向かわないようにするためのものだった。インドネシアの国内政治勢力が自らの政治目的を達成するのに、こうしたオランダ流のやり方を踏襲しないという保証は何もない。地方分権化の観点からも、宗教や種族のような形で住民が「自分たちは何者か」を単純化して考える状況は好ましくない。住民が自分たちの住む地域にどんどん目を向けなくなるからである。

住民が自分たちの地域に愛着をもたずに、どうやってよりよい地域開発や地方自治が実現できるのか。地域住民が自分たちの地域のことをよく知り、興味をもつことで地域への愛着や帰属意識が高まる。それが地域開発を突き動かすエネルギーとなり、コミュニティ成員としての各人の責任をともなった形で、より地に足のついた活動が起こる。地域開発や地方自治の拠り所である地域のアイデンティティは、そこに住む地域住民がそこの地域資源に関する理解や認識を深めることによって確立されていく。スラウェシ地域開発ビジョンに謳われているような地域の自立意識は、こうしたプロセスを通じて高まっていくのである。