2016年1月14日木曜日

ドイツ精神医学の黎明

臨床精神医学の体制は十九世紀に入って、主としてドイツの心理主義者や病理学者の手によりさらに強固に形づくられた。

パインロート(1773~1843)がライプチヒで精神病学講座を開設したが、彼はまだ罪が狂気を招き、悔いが治療であり、慈悲が精神の健康を保っているなどと説いていた。

しかし、その後ドイツのあちこちで近代的な精神病者の収容所が創設され、精神医学が盛んとなった。この頃には、悪魔学や鬼神論もほとんど影をひそめ、精神病者をより人間的に見つめようとする傾向がますます大きくなってきた。

グリーシンガー(1817~1868)はチュービングン大学において、初めて精神病学講座を開設し、精神病は脳の病気、特に大脳皮質の病気であり、あらゆる精神病は脳病理学を基として説明することができるという信念を吐露した。

グリーシンガーはこうした身体論、器質論のみにかたよらず、自我についても研究しており、原初的妄想という、今のパラノイアに当たる心理的内容を持った概念をも発表している。

グリーシンガーの後、ドイツの精神医学は大脳にその中心をおく研究が多くなり、大脳精神医学がここに始まった。

中でもマイネルト、ヴェルニッケの両教授は、大脳皮質論者の代表者で、ブロッカの失語症、エスキロールのモノマニー(偏狂)、ペイルの進行麻輝など、フランスでおこった三つの研究をドイツにおいてさらに研究した。さらにはヴィルヒヨーが顕微鏡を使って、膨大な脳解剖と脳病理の文献を公刊している(1858年)。