2013年8月28日水曜日

補助金漬けの島

復帰前の沖縄は、統治者の米軍にとって必要な社会基盤しか整備しなかったから、道路やインフラなどは本土に比べると大幅に立ち遅れていた。一九七二年、沖縄が日本に復帰すると、これを是正して本土並みにするため、いわゆる「沖縄開発三法(沖縄振興開発特別措置法・沖縄開発庁設置法・沖縄振興開発金融公庫法)」を制定し、集中的に公共工事に投資することを決める。これをきっかけに、毎年、沖縄振興開発事業費として二〇〇〇億から五〇〇〇億円の予算が組まれ、昭和四七年度から平成二〇年度まで累計でなんと八兆五五四二億円という天文学的な金額がっぎ込まれた。さらに関連経費などを含めると約九兆四〇〇〇億円にもなる。沖縄に、湯水のように札束がばらまかれたのだ。

沖縄振興開発事業費の九二%が公共工事だ。道路が圧倒的に多くて約三兆円強と三五・一%を占める。下水道水道廃棄物等(一八・〇%)、港湾空港(一二・二%)、農業農村整備(一・四%)治山治水(六・〇%)と続き、教育文化振興など全体のわずか六%にすぎない。沖縄が日本に復帰した年に、田中角栄が総理に就任しているから、沖縄振興開発事業に日本列島改造の一翼を担わせたのだろう。そう考えると、沖縄振興開発=公共工事という構図ができあがったのも当然と言えなくはない。これ以外に、沖縄振興開発金融公庫が沖縄の企業などに総額四兆八〇〇〇億円余を融資している。両者をあわせると一四兆二〇〇〇億円のカネが沖縄を舞台に動いたことになる。

沖縄につぎ込まれる補助金はこれだけではない。米軍基地とのからみでさまざまな補助金がつけられている。その一つが「SACO交付金・補助金」である。一九九七年に、突然、SACO(「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会」という組織ができた。理由は、その二年前の九五年に、小六の少女三人が黒人海兵隊に暴行されるという事件への対応策である。沖縄は、米軍基地によってこうした事件が日常茶飯事に起こりうる。このとき八万五〇〇〇人の抗議集会が開かれ、基地反対運動が異常なほど高まった。そこで政府は、札束をばらまくというアメで、怒れる沖縄をなだめようとしたのである。

公布の名目は、米軍基地の県内移設・統合を受け入れた自治体に対する感謝のようなもので、たとえば、市内に基地がある名護市のような自治体が、公民館を建てたいというと、SACO補助金なら九割、SACO交付金だと全額補助される。ちなみに二〇〇〇年以降、名護市は毎年二九億円ほどのSACO交付金・補助金を受け取っている。岩国市が空母艦載機の移転に反対したら、補助金がカットされて予定していた新市庁舎の建設がストップしたことで話題になったが、これもSACOの補助金である。

二つ目が「沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業費」、通称「島田懇事業」と言われるものである。慶庖義塾大学の島田晴雄を座長に、ハコモノなどハード以外の事業にも補助しようと、九七年度から総額一〇〇〇億円の事業が進められた。三つ目が「北部振興事業」だ。九八年の知事選挙で、革新系の大田知事から保守系の稲嶺知事に替わったことへの、いわばご褒美のようなものである。キャンプーシュワブに普天間飛行場の代替施設を建設するのを受け入れてくれたのだから、北部のために何かしましょうということで、九九年から毎年一〇〇億円の事業が行われている。四つ目が「特別調整費」で、九八年に稲嶺政権の誕生から、毎年約一〇〇億円か計上されている。