2013年12月25日水曜日

イデオロギー過剰の国

ゴルバチョフのペレストロイカーグラスノスチ政策により、西欧との関係が密接になり、西欧からの情報が人々に西欧との差を意識させるようになり、東欧・ソ連圏での自由に対する需要を著しく増大させた。これらの国の人民は、物資よりも自由が一層不足していることを痛切に自覚し、自由を求めて暴動が起こったのである。社会的混乱は、もちろん経済的混乱を誘発する。人々が自由を求めだすと、経済状態は一挙に悪化した。しかし「自由になれば経済はよくなる」と西欧側のメディアに吹き込まれた東欧の人たちは、経済がよくならないのは、まだ自由が充分でないからだと考えて、一層多くの自由を要求した。明らかな悪循環である。

もちろん、それらの国の人々も努力している。現に私が勤めている学校(LSE)にも東欧・ソ連圏から経済学者がやって来て、西欧から学ぼうとしつつある。先日もこれから彼らとの会合に出席しようとしていたLSEの東欧経済の専門家と立ち話する機会があったので、「多すぎる自由は、それだけでは経済をよくしないと彼らに言っておいて下さい」と私か言ったところ「全くそうなんだ。市場さえつくれば一挙に一流経済国になれると思っているんだか……。西欧の自由派にも責任はありますよ」と首をすくめていた。

いままでイデオロギー過剰の国に閉じ込められていたのだから、新しいイデオロギーが許されるとそれに飛び乗って他の極端に走り去ったのである。その上悪いことに、サッチャー首相(当時)はそれらの反体制者を自分の保守党党大会に出席させて、自由のために戦った偉大なる戦士として彼らを遇したから、彼らの夢はますます膨らんでしまった。その結果、彼らはすっかりsense of proportionを失い、自分の国の経済をsachlichに見ることができなくなってしまった。もちろんこれらの国には、保守派すなわち社会主義の理念を信奉している計画経済主義者が残っている。

これらの人たちは、自由がよい結果をもたらさないのを待っており、事実、彼らの一部がクーデターを試みたように、時が来れば勢力をもり返そうと狙っている。自由対計画の思想戦は経済を一層混乱させたが、このような経過は全く唯物史観の逆現象(経済が思想を決定するのでなく、逆に思想が経済を決定する)でしかありえない。東欧・ソ連圏の瓦解は、政治は事実に即して、sense of proportionを鋭敏に働かせつつ、プラグマティックに行なわれるべきことを如実に示している。

政治は国民、人民、大衆のためにするのであって、政治を行なう個人や、一部の特定の階級のために行なうのでない。昔はそうでなかったが、少なくとも近代においては、そうあるべきである。このように政治を私利私欲と切り離してしまえば、一部の異常なまでに権力欲の強い人や虚栄心の持ち主以外は、政治家になる興味を持たないであろう。通常の人ならば、よほど金がありあまっている人か、先祖代々、政治に関係していて、自分もまた政治に関係することに何の抵抗もない人(例えば、昔の大名や家老の家系の子孫、あるいは大地主や名門の家に生まれた人たち)の他は、政治家になる経済的・時間的余裕はないし、また興味もないであろう。

2013年11月5日火曜日

「人生の充足」ということ

抽象的な理念ではなく、こうしてGNHすなわち「国民総幸福」は経済発展の新しい「哲学」として注目され、れっきとした市民権を得た。ところが奇妙なことに、ブータンの国語であるゾンカ語では、「ギェルヨンーガキ・ペルゾム」というGNHに相当する言葉はあるにはあるが、それはGNHの訳語であり、どこか仰々しくてぎこちないので、日常会話ではほとんど用いられない。わたしは、GNHを表明したものとして紹介されるゾンカ語の国王演説(ちなみに、国王は国民に向けてはソンカ語でしか話さない)をいく度か聞いたことがあるが、GNHに相当する言葉は見当たらなかった。

また、国王に面謁した折にも、国王自身の口からGNHという言葉を聞いたのは、後述する一回だけである。国王がゾンカ語で繰り返し□にされたのは、国民が「ガートド、キートト(喜び、幸せ)」(傍点を打ったが、キは、「ギェルヨンーガキーペルソム」の「ガキ」である)であることが大切である、というきわめて平易な日常的言葉だけである。そして特徴的なのは、これを国家とか社会といったレベルではなく、家族という一人一人にとってもっとも身近なレベルで話されることである。このことに関して、わたしには忘れがたい思い出があるので、私事であるが記しておきたい。わたしは一九八〇年代ブータンに滞在していた当時フランス人と結婚していたが、ブータンを離れてから離婚し、数年前に日本人女性と再婚した。

そして二〇〇四年秋にドルジエーワンモーワンチュック王妃が来日された折、王妃がわたしの再婚相手に会いたいとおっしゃったので、京都で一緒に食事をした。その後二〇〇五年にテインプで国王に面謁した折、国王は、「再婚相手の日本人はすばらしい女性だと王妃から聞いたが、それはあなたのGNHにとってとても大切なことで、わたしは嬉しく思っている」とおっしやった。これがわたしが国王の□がらG良Hという言葉を聞いた唯一の機会である。いずれにせよ、家族重視という立場は、国王の政策の柱をなしているが、それは、国王の私生活においても、家族と過ごす時間をいかに大切にされているかを見ても明らかである。GNHが、抽象的な哲学理念、経済概念ではなく、日常生活に即した実際的なあり方であるということを端的に物語っている。提唱者である国王による理論的に構築されたGNH論が存在しない所以である。

近年、ブータン国内はじめ、世界のあちこちでGNH「国民総幸福」に関するシンポジウムやセミナーが開かれるようになり、関連した出版物も増えている。日本でも、「ブータンと国民総幸福量(GNH)に関する東京シンポジウム2005」が外務省主催で二〇〇五年一〇月に東京で開かれたり、『ブータンと幸福論』(本林靖久著、法蔵館、二〇〇六年)と題する本が出版されたりして、注目度が高くなっている。今後もますます多くの論議がなされ、GNHの理論構築がなされることであろう。そしてGNH「国民総幸福」という概念が、GNP「国民総生産」に象徴される経済至上主義の趨勢に、今後いかなる影響を与えていくか注目されるところである。

こうした現状の中で、GNH理念の最良の代弁者は、すでに紹介したドルジエーワンモーワンチュック王妃であろう。王妃は自著『幸福大国ブータン』の中で、次のように述べている。「きわめてわかりやすくいえば、GNH(国民総幸福)の立脚点は、人間は物質的な富だけでは幸福になれず、充足感も満足感も抱けない、そして経済的発展および近代化は人々の生活の質および伝統的価値を犠牲にするものであってはならない、という信念です。GNHを達成するために、政策的にいくつかの優先分野が設けられました。繁栄が、国のすべての地域に、社会のすべての分野に共有される公平な社会経済開発、汚染のない環境の保護および促進、ブータンのユニークな文化遺産の保存および発展、民衆参加型の責任ある良い政治。これが国王の政策の基本的ガイドラインです」

2013年8月28日水曜日

補助金漬けの島

復帰前の沖縄は、統治者の米軍にとって必要な社会基盤しか整備しなかったから、道路やインフラなどは本土に比べると大幅に立ち遅れていた。一九七二年、沖縄が日本に復帰すると、これを是正して本土並みにするため、いわゆる「沖縄開発三法(沖縄振興開発特別措置法・沖縄開発庁設置法・沖縄振興開発金融公庫法)」を制定し、集中的に公共工事に投資することを決める。これをきっかけに、毎年、沖縄振興開発事業費として二〇〇〇億から五〇〇〇億円の予算が組まれ、昭和四七年度から平成二〇年度まで累計でなんと八兆五五四二億円という天文学的な金額がっぎ込まれた。さらに関連経費などを含めると約九兆四〇〇〇億円にもなる。沖縄に、湯水のように札束がばらまかれたのだ。

沖縄振興開発事業費の九二%が公共工事だ。道路が圧倒的に多くて約三兆円強と三五・一%を占める。下水道水道廃棄物等(一八・〇%)、港湾空港(一二・二%)、農業農村整備(一・四%)治山治水(六・〇%)と続き、教育文化振興など全体のわずか六%にすぎない。沖縄が日本に復帰した年に、田中角栄が総理に就任しているから、沖縄振興開発事業に日本列島改造の一翼を担わせたのだろう。そう考えると、沖縄振興開発=公共工事という構図ができあがったのも当然と言えなくはない。これ以外に、沖縄振興開発金融公庫が沖縄の企業などに総額四兆八〇〇〇億円余を融資している。両者をあわせると一四兆二〇〇〇億円のカネが沖縄を舞台に動いたことになる。

沖縄につぎ込まれる補助金はこれだけではない。米軍基地とのからみでさまざまな補助金がつけられている。その一つが「SACO交付金・補助金」である。一九九七年に、突然、SACO(「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会」という組織ができた。理由は、その二年前の九五年に、小六の少女三人が黒人海兵隊に暴行されるという事件への対応策である。沖縄は、米軍基地によってこうした事件が日常茶飯事に起こりうる。このとき八万五〇〇〇人の抗議集会が開かれ、基地反対運動が異常なほど高まった。そこで政府は、札束をばらまくというアメで、怒れる沖縄をなだめようとしたのである。

公布の名目は、米軍基地の県内移設・統合を受け入れた自治体に対する感謝のようなもので、たとえば、市内に基地がある名護市のような自治体が、公民館を建てたいというと、SACO補助金なら九割、SACO交付金だと全額補助される。ちなみに二〇〇〇年以降、名護市は毎年二九億円ほどのSACO交付金・補助金を受け取っている。岩国市が空母艦載機の移転に反対したら、補助金がカットされて予定していた新市庁舎の建設がストップしたことで話題になったが、これもSACOの補助金である。

二つ目が「沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業費」、通称「島田懇事業」と言われるものである。慶庖義塾大学の島田晴雄を座長に、ハコモノなどハード以外の事業にも補助しようと、九七年度から総額一〇〇〇億円の事業が進められた。三つ目が「北部振興事業」だ。九八年の知事選挙で、革新系の大田知事から保守系の稲嶺知事に替わったことへの、いわばご褒美のようなものである。キャンプーシュワブに普天間飛行場の代替施設を建設するのを受け入れてくれたのだから、北部のために何かしましょうということで、九九年から毎年一〇〇億円の事業が行われている。四つ目が「特別調整費」で、九八年に稲嶺政権の誕生から、毎年約一〇〇億円か計上されている。



2013年7月5日金曜日

NAFTAの実体

常識にしたがえば、メキシコはこれまでどおり、自由市場と通貨価値の維持という路線を続けるべきだということになります。アメリカの政府関係者は現にそう言っていますし、最後までそう言いつづけるでしょう。わたしが政府の人間だとしたら、おなじことを言うと思います。しかし、わたしたち民間人は、無責任なことや、言いにくいことを言える立場にあります。今後、メキシコでなにが起こるかについて、わたしなりの考えを言うなら、昨年、多くの国がそうしたように、メキシコも、ワシントン流の見方のうち一方を捨てざるをえなくなるでしょう。その場合、捨てる方を間違えて、失敗したはずの保護主義政策やナショナリズム政策に逆戻りする可能性もあります。政府が最後まで金融引き締め政策にこだわれば、その可能性は高くなるでしょう。

しかし、わたしの見るところ(メキシコの事情に詳しいわけではないので、あくまで部外者としての意見ですが)、ワシントン流の見方のうち、もう一方が捨てられることになるでしょう。イギリス、スウェーデンは、状況がどうなろうとも為替レートを維持する方針に変わりはないと断言していましたが、どちらの場合も、最後には道理が勝ちました。投機売りを浴びて方針を転換せざるをえなくなったことが、かえって幸いしたのです。近いうち、メキシコでこれとおなじことが起きないとしたら、それこそ意外です。つまり、わたしの希望的観測では、メキシコは経済改革の総仕上げの一環として、通貨を切り下げることになるでしょう。

このところアメリカでは、NAFTA(北米自由貿易協定)法案が最大の政治争点となっている。このように国論を二分する貿易法案は、スムートーホーレー関税法以来である。協定の実質的な内容や予想される影響から見で、これほど激しい論争が展開されていることは、理解できない。また、論争をきっかけに、事実をたんねんに検証してみようという傾向が見られるわけでもない。NAFTA反対派を説得しようとしても、議論は不毛に終わることが多い。一九世紀末、ウィリアムージェニングズーブライアン大統領候補が銀貨自由鋳造制を提唱したが、その熱狂的な支持者である農民に、それでは農家が抱える問題は解決しないと説得するのと、変わりがない。

実際、この二つのケースはよく似ている。一八九〇年代のポピュリスムは、いってみれば、アメリカ経済の工業化という大きな流れに逆らって、農家を守ろうとする必死の抵抗であった。金本位制を維持すべきか、あるいは、銀貨の自由鋳造を認めて金銀複本位制にすべきかの選択は、農業セクターが現実に抱える問題とはほとんど関係がなかった。強いていえば、銀貨の流通によってインフレが発生すれば、多額の負債を抱えた一部の農家にとって、一時的な救済になったかもしれない。しかし、それで工業化の流れがくつがえされるわけでもなければ、流れが目に見えて緩むわけでもなかった。

それでも、金銀複本位制か金本位制かという争点は、国民にとってわかりやすいものであり、ひとつの象徴であった。「アメリカを金の十字架にかけてはならない」という訴えは、スローガンとして有効だった。だからこそ、銀貨自由鋳造制という見当違いの主張を、ポピュリストが政策綱領の中心に据えるようになったのである。NAFTAに対する強硬な反対論も、基本的に当時のポピュリスムと変わりがない。アメリカ経済のサービス化の流れに逆らって、。‐製造業を守ろうとする必死の抵抗である。貿易、とりわけメキシコとの貿易は、サービス化の流れとはほとんど関係がない。

突発的で不合理な投資ブーム

NAFTAがそれほどすばらしいものであるとすれば、成功しない可能性などあるのでしょうか。その可能性はあります。これには、二つの場合が考えられます。ひとつは、アメリカが最終的にNAFTAを批准するかどうか、まだはっきりしていないことです。わたしの見るところ、批准しない可能性は低いように思えます。クリントン政権が主に外交政策上の理由から、成立に全力を注ぐことはたしかでしょう。気分を害されるかもしれませんが、メキシコの現政権はアメリカにとって夢が実現したといってもよいでしょう。アメリカで教育を受け、改革の意欲に燃えたテクノクラートが、独裁の歴史を一掃し、近代国家、民主国家をつくりあげようとしています。

アメリカ政府がこうした友好国の成功の見通しを危うくするとすれば、馬鹿げているとしかいいようがありません。だからといって、その可能性がないわけではありませんが、かなり低いと思います。 NAFTAが失敗する可能性として、もうひとつのケースが考えられます。メキシコで経済危機が起きた場合です。その危機は、NAFTAとは関係がないかもしれませんが、カナダ、フランスが抱えている経済問題も自由貿易とは関係がないのです。メキシコで危機が起こるとすれば、それはどのようなものでしょうか。メキシコは現在、資本流入に大きく依存していますが、これが危機につながる可能性は十分にあります。

前述のように、メキシコへの巨額の資本流入は、じつは、経済改革が将来成功することを見込んでの前払いなのです。この数年来、メキシコは、投資家や識者の間でブームになっています。いまでは、ブームが過熱しています。わたしの知人にメキシコの政府関係者がいますが、借入ができなかった一九九〇年以前と、投資ブームの現在とをくらべて、こう語っています。「当時、メキシコはそれほど悪くなかったし、いまも、それほどよくはない」。アメリカでは(もちろんメキシコでではなく)、昨年になっても、中国並みの離陸を果たしたかのように、「メキシコの奇跡」が話題になっていました。

しかし、現実のメキシコは、ひいき目に見ても、まだ奇跡が起こりはじめた段階です。この数年来、実質成長率は人口増加率をI、ニポイント上回っているにすぎません。アメリカに近い生産性をあげている産業も少しはありますが、全体とすれば生産性はあまり仲びていません。経済が成長軌道に戻って以降も、失業率は上昇しています。これはよく知られている事実であり、メキシコ政府に問題があるわけではありません。要するに、メキシコは、海外投資家によって実力を正当に評価されているというより、突発的で不合理な投資ブームの標的になっているのです。

ブームにはかならず終わりがあります。このブームが終わったらどうなるでしょう。あるいは、成長が減速したらどうなるでしょう。もっとも、景気はすでに下降局面に入っていますが。経済を自由化するという政府の基本戦略は、間違っていません。むしろ、長期的に見て、これ以外にメキシコが貧困から抜け出す道はありません。しかし、メキシコ経済は短中期的に不安材料を抱えています。それは、GDPの六八Iセントにのぼる資本流入が毎年続かないかぎり、ペソが大幅に過大評価されているという問題です。現在のメキシコの実質為替レートが、一九八八年当時より大幅に上昇している原因については、意見の分かれるところです。海外資本の自然な流入によるものだとする見方と、インフレ抑制の手段として為替レートを利用しているからだとする見方がありますがいそれはあまり問題ではありません。現実の問題は、今後も海外資本が従来どおりのペースで流入するかどうかです。しかし、これは期待できそうにありません。とすれば、どうしたらよいでしょうか。

2013年7月4日木曜日

「お受験エリート」の問題

本当は、これまでお話ししてきたように、団塊世代の一次退職に伴って浮いた人件費を若者に回す努力をすることで、内需の減退を防ぎ、際限ない経費削減地獄を脱することが可能です。あるいは高齢富裕層が座して株価下落を見ているのではなく、持っている金融資産でも消費に回してくれれば、国内経済はドラスティックに浮揚します。ですが、〇〇年に一度の不況」なる標語の下、「今は不景気だから仕方ないじやあないか」という言い訳が企業社会にまかり通っているために、若者の雇用を守ろうという空気はカケラも出てきていません。「景気対策は政府の仕事」という、政府の財政状態を考えれば極めて非現実的な考えが蔓延しているために、自分で消費することで金融資産を防衛しようとしている富裕層にもついぞ会ったことがない。その結果各企業の国内販売がストレートに落ち、株価も下がる、つまり皆でお互いのクビを絞め合っている状況が続いています。

この事態を招いた最大の原因が、「日本人の加齢に伴う生産年齢人口減少」という事態の本質を無視し、起きていることを無理やりに「景気循環」だけで説明してしまうことです。「すべては景気が回復してから」と、ミクロ面での失敗までを景気のせいにしてしまい、しかも今やらねばならないことまで先送りにすることも正当化されてしまっているわけです。しかし過去一〇年以上そうであったように、彼らが日本人の加齢を考慮に入れて適切な対策を取らない限り、好景気が来ようと不景気に戻ろうと今後ともずっと、企業の過剰在庫は腐り続け、内需は縮小を続けて行きます。

ですが本当は、生産年齢人口減少は、(若者の所得をそれに応じて増やしていければですが)「日本の雇用や内需を維持しつつ同時に生産性も高めていける」という、日本の歴史が始まって以来の大きなチャンスなのです。企業は「景気対策」を政府に任せるのをやめ、自らが若者を雇用することで内需を拡大させる。他方で政府は(金持ちも生活困窮者も一律に支援する今のような年金への財政投人をやめ)困窮した高齢者へのセーフティーネットを万全にすることで、高齢者の退職を促進する。そのような新たな分担ができれば、数十年後の日本は、現在の経済規模を維持したまま、数割は高い生産性を達成していることでしょう。若い世代の所得上昇や女性就労の促進に伴って、それから団塊世代の死去に伴う社会福祉負担の絶対額の減少もあって、出生率も大きく上昇し、毎年の出生数は現在よりは少ないレベルながら安定してくるものと思われます。

その頃の日本、生産年齢人口が三-四割減った後の国土の姿はどうなっているのでしょうか。戦後半世紀を支配した、都市開発地域拡大・容積率上昇・土地神話といったものは、すべて崩壊しています。人口減少に合わせて都市開発地域を縮小し、旧来の市街地や農山村集落を再生し、中途半端な郊外開発地は田園や林野に戻すこと(コンパクトシティ化)が各地で進むでしょう。その中で、戦後日本が失ってきた最大の資源である美しい田園景観と、それぞれがちゃんと個性を持った都市景観の復活が図られます。容積率を下げて、安普請の高層建築物をスカイラインの整った中低層建築物、それも耐震性の高い高品質の建物に建て直す「減築」も当たり前になるでしょう。

また、生産年齢人口=土地利用者の減少に伴う地価の著しい下落と、上地を保有するだけで利益を得てきた世代の死去に伴い、不動産取引はずっと流動化します。定期借地の普及による「土地の所有と利用の分離」の常態化、土地ではなく建物の生む収益による不動産評価手法の定着、ごね得地権者の消滅による非耐震建築物建て替えの迅速化、などが期待されます。上地保有が貯蓄手段ではなくなっていく中で、工芸品や美術品、銘酒、名車、名盤、優れたデザインの建築物など、ヴィンテージの付く商品の購入が代わりの貯蓄手段となっていき、社会の中で文化やデザインの占める地位が年々高くなっていくことになるでしょう。大量生産品市場がゆっくり縮小する一方でヽ地域地域の個性を滑かした手作りの地産地消品を供給する零細事業者(新規参入する社会起業家も多く含まれるでしょう)が増え続けます。海外から安価な大量生産普及品を購入する流れも拡大しますが、他方で少し遅れて人口成熟して来るアジア諸国などに向け、そうした高価な地産地消品を輸出する流れも年々太くなっていくでしょう。

そうそう、私か随所で自戒を込めて批判してきた「お受験エリート」の問題ですが、正解のある問題・論証可能な問題に答えることだけが得意な優等生が、社会に出てから現実不適応症候群を起こしていく、という状況が今後とも二〇年程度は続くのでしょう。ですがそういう試験だけが得意な炉荊エリートは、結局社会の一線から退場して行かざるを得ない。あるいはそういう層に支配された一部大企業なり官庁なりは消えて行かざるを得ない。親の恐怖心を煽りお受験競争に駆り立てることで儲けようとしてきたお受験産業の面々も、どんなに恰好いいことを言っていても少子化の中で次々と消滅していくしかないことでしょう。繰り返しますが、真のエリートやリーダーというものは、赤絨毯をしいた廊下を手を引いて歩かせながら育てるものではない。草莽の中から、旧来の基準で言えば学歴もない、職歴もない、だが人を引っ張る力と魅力と清潔さのあるリーダーが必ず出てくると思いますよ。

いや、本当はリーダーはさはどの問題ではありません。日本というのは常に、現場で汗をかいている普通の人たちが支え・何度でも驚ぴせてきた社会です・その現場力、雑草力を私は信頼します。私か深い確信をもって想像するのは、「多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本」の登場です。人口減少の中で一人一人の価値が相対的に高まる中、その中で暮らす人々も、それぞれやりがいのあることを見つけて生き生きとしています。そうした未来の実現に向けて自分の地域を良くして行こうと活動する老若男女はどんどん増えていくと、私は新たな風の始まりの部分を日々全国で実感しているのです。本当に長い間、ご清聴いただきありがとうございました。

住宅需要激増期の公営住宅供給

実際戦後の日本では、一生の買い物として高いローンを組んで自宅を購入することが、当たり前の行動として広く行われてきました。もちろんそうはいかなくて最後まで公営住宅にいても、快適性が劣るだけで生存権までもが損なわれたわけではなかったのですが、皆さん損得を度外視しているのではないかと思うくらいに日本の中流階層の自宅講 購入志向は強く、公営住宅の潤沢な供給はそうした意識を阻害しなかった(=民間による住宅供給市場の成長を阻害しなかった)のです。余談ですが、現在の途上国援助で公的住宅を建てるときに繰り返されている失敗が、現地の民間住宅よりも快適な水準の公営住宅を供給してしまうということなのです。こうします、政府関係にコネを持っているような所得の高い層が公営住宅に入居してしまい、庶民は手が出ません。その結果スラムは消えないし、良好な民間住宅市場の発展も阻害されてしまうわけです。実は日本の医療福祉分野はこれと似た失敗をしているように思えます。

私は現在需要激増期にある医療福祉についても、住宅需要激増期の公営住宅供給・民間住宅供給の役割分担と同様の仕組みが機能するようにすべきだと考えています。すなわち、公的な医療福祉サービスの中身は、公営住宅同様に、個人の生存権を十分に満足させる水準でなくてはなりません。ただそれはどうしても、十分に「快適な」水準であるとまでは言えないものにとどまります。そこから先、さらに快適なサービスを求める人は、民営賃貸住宅に引っ越した人や自宅を買った人と同じで、自分のお金でどんどんより快適な水準を追求していけるようにすべきなのです。

ただし、公的保険だけで生きていく人と、自分でお金を出してさらに快適なサービスを求める人と、味わう快適さは違いますが、平均寿命は同じであるということを目指さねばなりません。そして供給者側(=医師、看護師、介護福祉士、その他医療福祉関係者)も、公的保険で来る人と自分のお金で来る人、どちらを相手にしていても一定限度以上の十分に満足のいく収入は得られるような仕組みが必要だ(し、そういう仕組みの構築は可能だ)と考えるわけです。公営住宅を建設しても民間住宅を建設しても、建設業者にはそれなりの売上が入ったというのと同じことです。このように、公的介入によってそれなりに高めの最低線(ショナルミニマム)を保障しつつ、その先の快適性追求を市場経済原理に則って自由に認めるという結論は、過去に住宅市場で実現していたにもかかわらず、市場か政府介入かという今の不毛な二元論の中では忘れ去られがちになっています。専門分野の壁に阻まれているのでしょうか、簡単な温故知新ができていないわけです。

ですがこれを実現すれば、供給者側の人件費は確実に増やせます。それ自体が、ここで大テーマに掲げている「高齢富裕層から若者への所得移転」の一つのプロセスでもあるのです。さらには、先ほど述べました「生年別共済」の加入料を医療福祉の現場への料金支払いに回すことで、現場の苦しみをさらに緩和することが可能です。以上の提言は「言うは易し」でして、具体的に考えれば考えるほど障害は山積でしょう。戦術論の専門家から、「現実の制度設計や、制度の安定性の要請を踏まえていない」という批判が、それこそ山のように出てくるでしょう。しかし高齢者の激増という事態の方がよほど絶対的な現実でありまして、既存の制度設計などはそういう現実の前には吹っ飛んでしまうものです。ということで、以上の議論に対しては、まずはビジョンとしての優劣という観点から、戦術論の袋小路にトラップされないご批判、ご意見をいただければ幸いです。

おわりにI「多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本」へ雇用情勢の一層の悪化が報じられています。特に若者の就職はさらに困難を増しています。正に団塊世代が六〇歳を超え一次退職しつつある中で、本来若者に関しては人手不足が生じていなければならないタイミングなのですが、現実の経済は悪循環の方向に向かっています。すなわち、団塊世代の一次退職・彼らの年収の減少・彼らの消費の減退・内需対応産業の一層の供給過剰感・内需対応産業の商品・サービスの値崩れ・内需対応産業の採算悪化・内需対応産業の採用抑制・人件費抑制・内需の一層の減退という国内経済縮小の流れが、渦を巻いているのです。





市場経済の効用を主張する立場

これは典型的な「政府の失敗」です。今はトレントとしていろいろなところで市場万能主義が批判されていますし、正しい批判もありますが、この場合は逆です。需要があるのに、しかも需要者の多くを占める高齢者の中には潤沢な貯蓄を持っている人間も多いのに、供給が十分になされず、それどころか供給者側が過労死しかねない状況に置かれている。結果として需要者も不安に震えるばかり。この情けない現状は、公共体の的を射ない介入が市場の正常な機能を妨げ、需給バランスを損なっている典型的な例なのです。

もちろん政府には言い分かあります。「市場経済原理を導入すると弱肉強食になってしまい、金持ちは高度な医療福祉を享受できるが、お金のない人間は満足なサービスを受けられなくなる」というような話です。言葉は恰好いいのですが、現状では供給者側かワーキングファーと化してしまっていて、特に介護の現場ではなり手がいないという状態が慢性化しているのですから、お金を本当に潤沢に払える特別な人間でない限り満足なサービスが受けられません。政府の存分な介入の末に、結局弱肉強食に近い状況が生まれてしまっているのです。しかも長時間低賃金労働で介護サービスや医療に従事している若者など、供給者側の就業者までもが「肉」の側に回っているのですよ。

これに対して市場経済の効用を主張する立場からは、「診療報酬や介護報酬を自由化し収入総額を上げることができるようにすることで、十分な人手を確保できるようにすべきだ」との声が出ています。つまりより大きな額を払う替わり、より快適な医療福祉サービスを求める人たちに、存分に奉仕し存分にお金をいただくことで、供給者側の収入を増やすべきだという考えです。私もこの原理は基本的に間違っていないと思うのですが、その分、潤沢にはお金を払えない人に対するサービスがおろそかになる懸念はないのでしょうか。実際問題、市場経済原理の貫徹を唱える向きの中には一定の比率で、「努力を怠った結果貧乏になっている人が、一種の見せしめとしてそれなりに苦しむことは構わない」という意見を持っている人が混じっています。

私は「努力できるのにしない人間をそれなりに締め上げること」は必要だとは思っていますが、「努力できる、できない」を「結果から一律に判別する」のはそもそも難しいと思っています。さらには、医療福祉や教育といった、個人の生存権や次世代の機会均等に関係する部分を締め上げに使うことには反対です。従って、「貧乏な人がある程度苦しむことは構わない」という発想の強い連中と同一視されることはとても困ります。そういうことを主張しているのではないのですよ。ですが、「潤沢にはお金を払えない人に対するサービスがおろそかになるという事態は防ぎつつも、より大きな額を払ってもいいからより快適な医療福祉サービスを求める人たちに存分に奉仕し存分にお金
をいただいて、供給者側の収入を増やすこと」は、同時に実現可能だと思っています。

実際にこれまでの日本では、需要が著しく増加した局面で弱者保護と金持ち相手の売上増加を同時に達成できた分野が存在するのです。それが住宅供給です。四〇年から九五年の間に、日本の生産年齢人口はちょうど倍増しました。これに応じて、膨大な数の住宅供給がなされなくてはならなかったのですが、戦後日本は一切スラムを形碑することなく、求める者全員に、大なり小なり文化的・健康的な生活を営むことのできる住宅を供給することに成功したのです。これはいかなる方法によってなされたのでしょうか。政府の介入(日公共住宅の提供)と民間企業による供給のベストミックスによってです。

現在でも残っていますが、昭和三〇年代や四〇年代には、現在よりもずっと多くの人が住宅公団・都道府県・市町村営の住宅に住んでいました。公共部門によるこれら住宅の供給が、親世代の二倍も多かった戦時中生まれや戦後生まれの団塊世代の高波を吸収したのです。多くは木造の長屋か、コンクリート建てでもエレベータのない集合住宅で、間取りは狭くトイレは汲み取りでしたが、衛生状態が悪くて疫病が蔓延するとか、住人の平均寿命が他よりも劣るとかということはありませんでした。他方で、ここが重要なのですが、そうは言ってもそこを出て民間の供給する住宅(持ち家  含む)に移った方が快適性は高いので、多くの人が何とかお金を貯めてそこを出て行こうとしていたわけです。





2013年3月30日土曜日

小型カメラの誕生

現像液から上げた印画紙は、次に酢を水で薄めた定止液に入れてやります。これでアルカリ性の現像液を中和させ、現像をストップさせるわけです。そのあと定着液に七、八分入れて画像を固定させたら、水洗に回します。いまの樹脂加工の印画紙は流水で十分も洗えばOKですが、昔のバライタ紙は薄い紙で一時間、厚手の紙は二時間の水洗が必要でした。白黒写真が短期間で変色するのは、たいてい水洗不足のためです。水洗が終わって乾燥させたら、最後にかすかなキズやゴミの痕をスポット筆を使って直し、ようやく一枚の写真のでき上がりです。

現像の手順について、つい昔話を長々としてしまいましたが、世界的な写真家ユージンースミスは、たった一枚のプリントのために一週間かけることもあったといいます。長いこと白黒写真に取り組んできた人には理解できる話ではないでしょうか。いまの新聞社は、ほとんどがカラーネガですが、出版社ではカラーネガと白黒それぞれのフイルム自動現像機を入れて現像時間の短縮をはかっています。カメラのオート機構で均一な露出が可能になったおかげで、暗闇でフィルムの調子を見ながら現像する手間をはぶき、安心して機械にまかせられるようになったのです。

いまでも白黒フィルムのタンク現像をしているフリーフンスの写真家や熱心なアマチュアカメラマンは少なくありませんが、白黒フィルムはメーカーも生産量を落としていますし、特に昔ながらのバライタの印画紙は入手しづらくなっていると聞きます。それでも撮影したフィルムを自分で現像し、プリントにまで仕上げることができたら、こんな楽しいことはありません。それがむずかしければ、フィルム現像は町のラボに頼んでも、最終工程のプリントだけは自分でやるという手もあります。シャッターを押す瞬間に感じた「何か」が、引伸機を通して印画紙に焼き付けられ、現像液の中で徐々に姿を現わしてくる様は、まさに新たな生命の誕生を思わせてくれます。

薬品はすぐに使える状態のものが手軽に手に入りますので、引伸機さえあれば誰にでもできます。印画紙も最近は、引伸機に内蔵されたフィルターを使えば、どんな調子(コントラスト)のフィルムでも、号数を考えることなく階調の整ったプリントが得られるものが出ています。問題は暗室ですが、これまでだとお座敷暗室やお風呂場暗室ということになりますが、近頃はパイプで組み立てるテント型暗室も発売されているようです。

前にも書いたことですが、いまは大変なクラシックカメラーブームです。中古カメラも扱うICS輸入カメラ協会二十二社が、毎年、春に開催している銀座松屋デパートでの「世界の中古カメラ市」は、二〇〇一年に二十三回目を迎えましたが、一週間の開催期間の売り上げは三億八千万円に達したとのことです。秋には、新宿の伊勢丹デパートや京王百貨店でも開催されていますが、どの会場も、全国各地からカメラファンがツアーを組んで押しかけ、初日などは会場に入るのが精一杯、人垣の間に首を突っ込んでショーケースをのぞくのがやっとの状態です。