2012年8月22日水曜日

コミュニケーション上必要な名詞

普通名詞にしたってそうだ。たとえばイヌをイヌといい、ネコをネコというのは、これらの動物の種をさすことばとして、むかしから、人間がそう名づけたからである。いま。われわれがイヌと呼んでいる動物たちがみずからをイヌである、と宮言したのではなかった。

人間が、この動物たちをイヌと名づけたのである。人間か名づけないかぎり、事物に名まえはない。事物の名、すなわち、事物をさし示すことばは、必要に応じて人間がつけるものなのだ。

だが、人間をとりまくすべてのものに名まえをつけるほど人間はヒマではないし、だいたい、そんなことは人間の能力をこえている。だから、経験的世界のごく一部を切りとって、かなり大ざっぱに環境のなかの必要なものだけに名まえをつける。一般にわれわれがボキャブラリーと名づけるのは、そんなふうにして蓄積されたことばの群であるにすぎない。

だが、このさい、われわれが心にとめておかなければならないのは、ことばによってさし示される事物や行為は、かならずしもじゅりぷんではないけれども、われわれをとりまいている環境のなかで、およそ、コミュニケーション上必要なものには名まだある、という事実だ。われわれがそれを知らないだけのことで、じつにいろんなものに名がある。

わたしは何年かまえに自宅を新築したとき、工務店からまおってきた見積書に、はじめて見ることばがいくっかあるのに気がついた。たとえば「巾木」というのがある。これはいったい、なんのことか、わたしは工務店の人にきいて、教えてもらった。「巾木」というのは、壁のいちばん下、つまり床との接線に沿って張る横板のことである。ふだんのわたしの生活にとって、この横板は、べつだん必要がない。いや、この横板について語る必要かない。だから、その名まえを知らず、さらに名またがあることも知らなかった。