2012年9月18日火曜日

ことばの能力の優劣を決める要因

しかし、家をつくる大工さんにとっては、これは必要なことぱだ。現場で作業するとき、こうした住宅のあれこれの部品に名誉えがついていなければ、仲間どうしのコミュニケーションは進行せず、したがってしごとは円滑にすすむことがないだろう。大工さんには大工さんのことばがある。われわれシロウトは、ふだん必要がないから、それを知っていないが、たすねれば、ちゃんと教えてもらえる。わからないことばがあったら、きけばよろしい。たいていのものには、名まえがついているものなのである。

ことばの能力の優劣を決める要因のひとつは人間がみずからの体験に照らして、ひとつひとつの事物の名まえをおぼえる努力の有無にかかわっている。とりわけ、ことばを知らないときに、それをひとにたずねる努力か、ここでは決定的に表現能力を左右する。

道をあるいていて、目にふれる草の名誉え、部屋のなかを見わたしてそこに置かれているものの名誉え、とにかく、あらゆるものについて、これは、なんという名まえだろう、と問うてみること、きわめて単純といえば単純なことだが、それがこまめにできるなら、ほんとうに身についたボキャブラリーがふえてゆく。すくなくとも、そんなふうにしておぼえたことぱは、自信をもって使うことのできることばだ。

外国語の単語をおぼえるのにも、おなじ方法が有効である。受験英語では、しばしば英和辞典のaからはじめて、要するにアルファベット順にまる暗記をさせられる。受験まぎわのつめこみには、それか役に立つこともあろうが、わたしは中学生のころ、先生から英単語の学習方法として、手ぢかなものを英語でなんというかを学べ、と教えられた。たとえば電車にのってつりかわに手をかけたら、「つりかわ」は英語でなんというのかを考え、もしも電車の窓から電柱がみえれば、英語で「電柱」はなにか、と考えるのである。いや、考えたってわかるものではない。

つねにポケットに和英辞典をいれておいて、そうしたあたらしいことばを、その場でひくのである。それらのことばは、入試英語という、あの特殊な英語とは関係ないかもしれないが、英語学習には、すばらしい方法であった。わたしはいまでも、そうやっておぽえた単語は忘れていないし、また、いまも、おなじ方法をこころみている。

知らないことばを、ひとにきいて教えてもらう、あるいは、ふと見かけたものがなんという名まえなのか知りたくなる。それは、言語的好奇心といってよいかもしれぬ。そして手持ちのことばの数は、たぶん、この言語的好奇心の程度と比例する。この好奇心のある人は、ことばがゆたかだし、逆に、この好奇心がうすく、あまり事物に関心をもたない人のボキャブラリーは貧困だ。