2014年7月22日火曜日

産業構造の調整力

なぜ景気対策が十分な有効性を発揮しなくなったのだろうか。産業構造のサービス化などの要因もあるが、不況の性格がこれまでにない構造的性格を帯びているからである。多少繰り返しになるが、過去の不況と平成不況は、どこが構造的に違っているのか整理しておこう。

第一は、深刻な国内金融システム不安である。多くの中小金融機関の経営破綻に始まり九七年一一月以降は拓銀や山一讃券、さらに長銀や日債銀といった大手金融機関までが潰れた。その後も、国民銀行・幸福銀行・東京相和銀行といった第二地銀の経営破綻が相次いでいる。こうした大きな金融システム不安は、戦後はじめて直面する事態である。

バブルとバブルの破綻によって銀行は大量の不良債権を抱え、依然として土地を中心にして深刻なスト。クデフレが続いている。そのため、銀行は貸し渋りに走り、それによって企業の資金操りが悪くなって景気を悪化させ、一層不良債権を膨らませるという信用収縮のスパイラル(悪循環)が生じてきたのである。さらに金融ビッグバン路線に基づくBIS(国際決済銀行)の自己資本比率規制が、貸し渋りを加速させている。

第二は、国際的な金融システム不安である。先に述べたように、一九九七年夏、タイのパーツの暴落をきっかけに東・東南アジア諸国に広かった経済危機によって、多くのアジア諸国は大量の不良債権を抱えたままである。さらに九八年秋に、ロシアの財政破綻と金融不安からルーブルの急落に端を発して中南米諸国にも飛び火した国際通貨不安も同様である。いまや。中国のバブルもはしけ、ブラジルの通貨レアルは半落している。そしてアメリカは貯蓄率がマイナスに転じており、いつバブルがはじけるか懸念されている。

こうした状況の下で、一九九九年一月にユーロが発足し、脆弱な二つの基軸通貨体制がスタートしている。ドルとユーロのクラッシュの危険性も指摘されている。これまで日本経済は、二度にわたる石油ショックも輸出の増加で乗り切ってきたが、中長期的に輸出の大きな伸びは期待できない状況にあるといってよいだろう。

第三は、産業構造の調整力に限界が見えている点である。戦後の日本経済は、キャッチアップの過程において、雇用吸収力のある産業を次々と交代させながら経済成長を達成してきた。高度成長期には、石炭から石油へのエネルギー転換を基礎にし、鉄鋼・造船・石油化学などの重厚長大産業がリードした。そして二度の石油ショックに際しては、自動車・電気製品の輸出、さらには情報機器や半導体の輸出が経済を引っ張る一方で、国内ではサービス産業が進展した。