何年も前に起こってしまったことの「責任」を、いまさらことこまかに追及して「犯人探し」をしてみても、多分に水掛け論に終わらざるを得ないことは、はじめからわかり切っている。もしそうだとすれば、いささか「臭いものに蓋をする」きらいはあっても、税金を使ってでもいいから、一刻も早く処理してしまうに越したことはない。何しろ、問題となっているのは、日本の金融システムの安定性であり、それは経済にとってもっとも基礎的な「インフラ」なのである。
議論が多岐にわたると、問題の核心がどうしてもぼやけてしまう。ポイントは、もしかりにバブルの崩壊がなければ、問題のすべては発生しなかっただろう、というところにある。そして、発生しないものは崩壊のしようがないから、最大の「犯人」は、結局のところバブルの発生そのものである。
それではバブルは、いったいどのようにして発生したのか。言うまでもなくバブルの根源は、一時期の日本に金融の超緩慢状態が生じ、カネがダブダブにダブついてしまったところにある。そこで、問題は二つに分かれる。その第一は、ダブついたカネが、いったいどのように使われたのか、ということであり、その第二は、そのようにカネがダブついてしまったのは、いったいなぜなのか、ということである。この二つのうち、より基本的なのは第二だが、ここではまず第一から始めよう。
ダブダブにダブついたカネは、言うまでもなく株式がらみ・土地がらみの貸付に向けられた。それは、株価・地価の値上がりが、永遠につづくにちがいないという判断ミス・錯覚・集団的狂気にもとづいていた。いまとなってみれば、いったいなぜそうした判断ミス・錯覚・集団的狂気が生じたのかを、説得力をもって説明をすることはむずかしいだろう。だが、もともとバブルとは、そういうものなのである。
とくに、当時の銀行など金融機関の行動(金融業以外の企業や個人にも、もちろん問題はあったが)は、お世辞にもほめられたものではなく、お粗末をきわめた。そのお粗末さは、残念ながら、不良債権の処理が問題となっている現段階でも、遺憾なく発揮されている。じつは私は(私だけでなく、国民の多くも、そうだろう)、日本の主要銀行(たとえば、都市銀行や長期信用銀行など)は、もう少しましなものだと信頼し、尊敬していた。その信頼・尊敬の念が、一瞬にして地に堕ちた感がある。